追記

ジタバタ日記


2011年08月06日 CentOSでmonoをインストール

_ CentOS5.6にmonoをインストール

水曜日の続きで、CentOS5.6にmonoをインストールした。難渋する。

mono ver 2.10.2, libgdiplus, xsp, mod_mono それから「バージョンが古い」と言われたsqlite3なんかもインストールする。

「CentOS 5.5+mono 2.8+xsp 2.8+mod_mono 2.8インストール」というサイトがずいぶん参考になった。こういうサイト、私のような初心者も追跡できるように書いてあって ありがたい。

半日あれば終わるかなと思っていたが、monoの tar.gz ファイルを解凍するだけでかなり時間がかかり、あれこれトラブルも経験して、午前では終わらず夕方になって再開。結局、1日費やしたような気分。

でも、最終的にはC#が使える状態になった。IronRubyのパッケージも解凍し、それなりに使える状態に持っていった。

ただ、まだgemによるライブラリの導入がちゃんとできるようにはなっていない。おそらく何かpathの設定や環境変数の設定が必要なのだと思うが、本格的に調べるのはやめにした。


2011年08月03日 CentOSを少しいじる

_ CentOSでrubyをインストール

今日は休みをとる。久しぶりにunix系OSをあれこれいじる。

CentOS5.6がインストールされたパソコンに、とりあえずrubyをインストール。

yumコマンドでインストールすると、簡単ではあるものの、ruby ver 1.8.5 がインストールされてしまい、railsなどをインストールしようとしても、「rubyのバージョンが古い」となってしまう。

やむなく、ソースからインストール。よくある configure, make, make install でやってみると、問題なく完了。gemも "ruby setup.rb" でエラーなくインストール終了。

しかし、gemで導入したライブラリ(例えば nokogiriなど)を使ったスクリプトを動かそうとすると、エラー発生。原因を調べてみたが分からない。

インターネットでrubyのインストールについて検索してみると、make の後に make install ではなく checkinstall を実行し、rpmファイルを作成して、それを使ってインストールするようだ。

checkinstallを使って ruby, gem のインストールをやり直す。すると、nokogiriなどを使ったスクリプトが問題なく動くようになった。

どんな時に make install を使い、どんなケースで checkinstall を使ったらいいのか、よく分からない。しかし、ともかく ruby は使えるようになった。

ほんとは mono (マイクロソフト社の .net framework 互換環境を提供するシステム)のインストールもやろうと思っていたのだが、やめてしまった。

unix系OSとして FreeBSD 以外は使ったことなかったが、CentOSは、かなり面倒な感じ。慣れないため そう思うだけだろうか。

FreeBSD の portsシステムとか、pkg_addによるバイナリーパッケージのインストール(どちらも比較的新しいバージョンが用意されていると思う。)を当たり前のように思っていたが、それらの更新は、いろいろな人のサポートがあって実現しているのだと改めて実感。

_ クローゼットから出てきたCD

妻君が「部屋のクローゼットを整理していたら、こんなのが出てきた。」といって音楽CDを10枚くらい持ってきてくれた。ビニール袋にまとめて入れてあったもの。

聴いてみると、エリック・クラプトンの「Change the World」 「Tears in Heaven」 「I Shot the Sheriff」など、なつかしいのがあれこれ入っていた。

「あのCD、どこにいったんだろう。」と漠然と思ってはいたが、思いがけず出てきてラッキーな気分。

レゲー調の「I Shot the Sheriff」の何となく脱力したような感じは、暑い夏に合うような気がする。歌詞は別にして、曲の印象から、なぜかカミュの「異邦人」を連想する。

「Tears in Heaven」は、名曲だなと改めて思う。


2011年07月31日 「草の根の軍国主義」を読んでいて

_ 草の根の軍国主義という図書を読んでいたら

太平洋戦争というよりは、満州事変などを含めた15年戦争というべきか、ともあれ そのころ、日本では、「狭い国土に多すぎる人口がいて食べることができないから、国策として、南洋や満州に開拓民を出す必要がある。」と論じられていたとのこと。

今は、人口減少が問題になっている。単に減少というだけでなく、少子・高齢化に伴う減少というのが問題なのかもしれないが、「狭い国土に多すぎる人口」という観点は、いつ、どんなふうに解消されたんだろう?

そもそも「狭い国土に多すぎる人口」という発想が妥当なものだったんだろうか?

産業を発展させて(成長戦略によって)、のみならず財が過度に偏在しないようにする仕組みによって、多くの人が食べることのできる状況をつくり出すことが、当時にあっても可能だったのか、それとも当時は不可能だったのか。

敗戦後の大変革(農地解放とか財閥解体など)、冷戦を背景にした米国の日本支援、それやこれやの国内外の激変があって初めて、「多すぎる人口が食べるに困らない」状況に辿り着けたんだろうか?

もちろん、そういう面はあっただろうが、一方、「狭い国土に多すぎる人口」論の背景には、対外進出の戦略が先ずありきで、それを理由づけるために、いわば後付けの論として、言い出されたということはないんだろうか?

多すぎる人口を問題にした戦前、人口減少を問題にする現在、この間にあるギャップ(あるいは共通性)が何なのか、どう考えたらいいのか、私にはとても整理できないが、なんだか気になる。


2011年07月30日 盲ろう者の日本での世界大会開催見合わせ

_ 盲ろう者の日本での世界大会が開かれないことに

視覚と聴覚の両方に障害のある盲ろう者の人たちの世界大会「第10回ヘレン・ケラー世界会議および第4回世界盲ろう者連盟総会」が、2013年、日本で開かれる予定になっていた。

しかし、日本での開催は見送り、別の国での開催を模索することになったとのこと。4月半ばに決定したようだが、私は最近になって知った。

東日本大震災が起き、その復旧・復興に国を挙げての取組みが求められる中で、開催に必要な資金(通訳者や介助者に係る費用など)の募金を行うことが躊躇われる、というのが大きな要因のよう。

こういう形での影響もあるんだなと、少々複雑な思い。

私自身は、全国盲ろう者協会(社会福祉法人)に関わっているわけではないので詳しい事情は知り得ないが、昨秋、協会で活動している人から、世界大会に向けての準備が大変なこと、でも、そうした実績を積む中で盲ろう者関連の事業を拡げ、その生活の質を高めたり更には就労の道を模索することにつながること、そんな話を聞いた。確かに大変そうだったが充実感のある話ぶりだった。

そんなことがあったので、日本での見合わせは、やむを得ないのだろうが残念な感じがする。


2011年07月27日 アイスが練乳チューブに

_ アイスクリームが欲しかったんだけど

自宅の近くのコンビニにいって買い物をした。

カップのバニラアイスを4こ欲しいと思い、その旨をお店の人にいったら、バニラが2こしかないとのこと。

それならバニラ2この他に、練乳アイス2こにしようと思って、「それならバニラの他に練乳2こ下さい。」とお願いした。

そして…… 帰宅して袋の中を確認すると、アイスの練乳ではなく、チューブに入ったものだった。カキゴオリなんかに入れる練乳。

確かに「練乳のアイス」と言わなかったが、当然ながらこちらの意図を分かってくれるものと思い込んでいた。これが失敗。やはり思い込みは禁物と反省。

それにしても、アイスの練乳と思っていたところ、そうじゃなかったのには、えらくがっかりした。自分でもあきれるほどの落胆ぶり。

といっても、再びお店に出かけて交換してもらうほどの意欲はなし。

チューブの練乳をちびちび味わっている。


2011年07月24日 テレビのデジタル化

_ テレビの地デジ化でラジオのテレビ音が……

今日の正午、予告どおりテレビのアナログ放送が終了。

私は、いわゆるテレビを使うことはあまりない。

ポケットラジオやポータブルラジオに、テレビの音を受信できるものがあり、それを愛用。

しかし、それら受信機ではテレビの音を聴くことができなくなった。

しばらく前、ワンセグのテレビで、ラジオ(AM, FM)も受信できるものを買った。シャツの胸ポケットに入るくらいの小さなもの。2万円以上だったと思う。

このワンセグが使えるといえば使えるのだが、電波状態がよくないため、よほど場所を選ばないと聴こえない。

デジタルの場合、ザーっという雑音にはならない代わり、聴こえるか聴こえないかの2つに明確に分かれる。アナログ放送の時のように、雑音に交じって聴こえるということがない。場所を少しでも変えてしまうと全く聴こえなくなってしまう。

私の自宅は、近くに高層ビルがあり、いわゆる電波障害の地域。自治体が用意してくれるアンテナ線にテレビをつないで視聴する。

といっても、これまでのアナログの場合、音だけなら雑音もなくちゃんと受信できていた。特にソニーのポータブルラジオは、家のどこに置いていても問題なく聴くことができ、お気に入りだった。

ワンセグテレビは、今の状態だと、その代用にならない。もしかすると、受信トラブルを解消するためのアンテナがあるのかもしれないが、本体の小ささと不釣り合いに大きいと躊躇される。

いずれにしても、今回のアナログ放送の廃止は、私には少々痛いできごとだった。


2011年07月18日 女子サッカーの放送

_ 女子サッカーの放送、感動話に偏りすぎでは?

女子サッカー・ワールドカップでの決勝、どきどきして聴いた。1点とられると挽回。それを2度もやって、最後はPK戦で勝利。こんなにどきどき・わくわくする展開は、なかなかない。

音の実況でサッカーを聴いていても、正直なところ、私にはよく分からない。場面が浮かばない。野球に比べると場面展開のスピードが圧倒的な感じがする。

そんな私ではあるが、テレビの中継をずっと聴いていた。分からないながらもエキサイティング。

で、「何が原因で勝利できたのか。」を知りたいと思うのが人情。日本側のことだけでなく、米国側がどうだったかも、もちろん関係するはず。

しかし、サッカー優勝を取り上げる放送は多いものの、それらを聴いても勝利の要因がよく分からない。

チーム力、震災復興と関連づけられたモティベーションの話、小回りのきく動き、そんな事柄は言われるものの、サッカーの技術を背景にした解説のようなものがあまりなかったように思う。

チーム力とか気持ちの問題がいくらあっても、負ける時は負ける。

そもそも、試合そのものの前に、日米双方が互いの長所と弱点をどんなふうに捕らえ、勝つための目標や戦略をどう設定していたのか。その辺も知りたい。単に漠然と「勝ちたい」と思っていたわけではないだろうと思う。

試合には技術力だけでなく、偶然、相手側のミスとか気持ちのぶれなど、様々な要素が絡むのだと思うが、それを単なる感動物語としてでなく、サッカーというゲームに即して、具体的な場面を取り上げながら、「あのとき、何が起こったのか」を物語ってくれる番組があってもいいと思った。そういう番組があったのかもしれないが、私は知らない。

取り上げるボリュームは多いが一面的な色合いが強いそうした放送を聴いていると、昭和天皇が亡くなった時の放送を思い出す。

ごく一部の放送局を除いて、どこも同じトーンの放送をずっと流し続けた。視聴者側がそれに耐えかねてか、レンタルビデオ店が大繁盛。それは、ごく自然な、そして健全な反応だと思う。

放送局側は、ある種の使命感から同じような内容を流し続けたのかもしれないが、私は、「戦時中の新聞やラジオのメディアがそんな傾向だったのでは?」と思われて、こわいものを感じた。

今回は、それほどのことはないが、でも、共通するものを感じてしまう。

何か大きなできごとが起きた時に、放送メディアなどがちゃんとその役割を果たせるんだろうか?「大震災とメディア」みたいな検証もあっていいのかもしれない。


2011年07月13日 無謬性、障害認定

_ 無謬性を前提にしたもののこわさ

原子力発電の関係で、その安全をチェックする機関が、原発を推進する行政からきちんと独立していないことが課題とされている。チェック機関が推進機関と同じ指向にあるとすれば、妥当なチェックが行われない可能性が高い、というわけだ。

これに類することは少なくない。例えば、障害者手帳取得時の障害認定。特に全国統一基準が定められていない知的障害者の認定にはそもそも難しさが伴うが、その難しさを別としても、ゆがんだ認定があるように思う。

サービス提供に責任を持つのも行政なら、障害認定を行うのも行政。ここにどのような背景力学が働くか、想像は容易だ。

障害が軽いほどサービス提供の程度は少なくて済む。厳しい財政の下、お金のかかることをなるべく避けるためには認定を軽めにすればよい。

といっても、行政があからさまに実態からかけ離れて軽度判定を行うと言いたいわけではない。しかし、僅かな差で軽度と中度、中度と重度が分かれることがある。そのような時に背景力学が働かないとは限らない。

文字を声に出して読むことができても、その意味を理解できない人がいるとする。表面的な短時間のテストで「読めるのだから軽い。」と判定されてしまうと、実態をちゃんと反映しない認定になってしまう。

「判定に当たる専門家なら、表面だけでなく実態を見ようとするはずだ。」と考えるのは甘いというのが私の感想。

そして、こわいのは、判定に不服な時は再判定を申請できるが、基本的には行政が指定する同じ機関に再判定してもらわなければならない点。そんな仕組みで問題が解決すると考えるほうがどうかしている。しかし、現行制度はそんな形になっている。

障害者やその家族にとっては、出口のないところに閉じこめられた強い閉息感におそわれる。更には諦観。

医療の分野でセカンドオピニオンが言われるように、行政から独立した医療機関で判定してもらえる道が残されていれば違ってくる。

判定機関のスタッフの中には、「障害者やその家族は、なるべく多くのサービスを提供してもらいたくて、実態より重い判定をしてもらいたがる。わがままなものだ。」との不信感を持って(いわば予断を持って)判定する人がいると聞く。

「なるべく軽く判定するのが私の使命だ」と言わんばかりの態度を示す人もいると聞く。

もちろん、そんな人はごく一部かもしれないが、そんな人に当たってしまった人が救済されるような制度・体制がちゃんと担保されていることが大事。

「行政は誤りをおかさない」という無謬性を前提にした制度は、実にこわい。


2011年07月10日 扇風機

_ 扇風機がやってきた

通販で頼んでいた扇風機が届いた。2万円以上する(私の感覚では)高級品。といっても、機能は昔ながらのものとそれほど違わない。

風邪の強弱4段階切り替え、首振り機能、タイマー機能が備わっているが、昔の扇風機にも同じ機能はあった。

デジタル表示の温度計とリモコンが付いてきたのが少々新しい感じだろうか?リモコンには点字が貼り付けてある。首振りなら「く」のように、頭文字のみ貼ってあるが、ないのに比べればずっと分かりやすい。

ただ、本体のスイッチはタッチパネルふうで、触って分かりやすいものではない。ほとんど出っ張りがない。

正直なところ「これで2万円以上なんだ。」と少々溜息が出る思い。何千円かで買えた昔のものがなつかしい。

「付加価値を付けて、高くても売れるものをつくるのが大事。」という路線に沿っているような気がしなくはないが、その価値が満足につながっているかと言われると……

「それなら、なんでその扇風機を買ったのか。」といわれれば、「品薄で他に思うようなものがなかったから」である。

ラジオも昔のものの方が良かったような気がするが、単なる回顧趣味だろうか。


2011年07月07日 たなばたの日に

_ たなばたの日に

午後、仕事関連の会議があり、職場の人たち3人と一緒に白金高輪までいく。

順調に進んでいない仕事の会議なので、なかなか波瀾万丈。ただ、天気予報だと雨が降るかもしれないとのことだったが、降られなかったのがせめてもの掬い。

昨年の秋にも同じビルで会議があったが、同行した人によると、その時よりかなり新しくなったようだとのこと。震災で壊れたところを修復したらしい。これも復興需要の一つ。

たなばたの日だが、あまりさえない1日。夜、星が見えるような空模様ではなかったよう。そういえば、おりひめとひこぼしって、何光年くらい離れているんだろうか。

たまにソフトクリームを食べに立ち寄る駅構内の店が、7月7日で閉店になると聞いていたので、夜、帰宅時に寄ってみたら、もう閉店されていた。残念。昨日、立ち寄るべきだったと後悔。