2011年03月01日 坦々とした強さ
_ 強さって?
夜10時からのBS11の番組(インサイダー・アウト)に、顔にやけどを負った女性が出演されていた。
母親が無理心中しようとして、部屋を密閉し、ガスを満たして火を付ける。結果、4歳だった娘さんが顔などに大やけど。
その娘さんが大人になって、テレビに出ていた。
学校時代ずっといじめにあっていたこと、しかし、母親を攻める気持ちは子どものころからなかったこと(むしろ死のうと思いつめた母への同情)、「こんな顔で生きていても仕方ない」と思ったことはなかったこと、写真をとられるのが嫌で笑っている写真がないこと、同じやけどを負った当事者の会(確か「フェニックス」)で活動していること、いろいろな話をされていた。
「精神的に強い」とか「凄い」と表現してしまうと、ほんとの印象から大きく離れてしまう。
ご本人は、実に坦々としている。堅さがない。いきがった様子もない。「しなやかさ」というのが近いかもしれない。
でも、ある種の強さ、凄さなんだろうと思う。いったい、それはどこからくるんだろう。
2011年03月06日 防災グッズ、才覚
_ 防災グッズ
ニュージーランドの地震、かなり悲惨な状況のよう。
改めて防災グッズのことを思い出す。
昨年10月、デイケアセンターを運営している知人が
「実際に使った経験がないと、いざという時に使えない。特に視覚障害者は、品物に貼り付けてある説明書きを読むことができないから体験しておくのが大事。」
ということで、体験会を催した。私も参加。
視覚障害者用のグッズを取り上げる催しは多いが、防災グッズの体験会は初めて。目のつけどころがいいなと感心。
汚水を飲める程度にするストロー、非常食のご飯や餅の食べ方(火を使わずに熱する方法を含む)、手回し充電のラジオ、トイレ用品、保存用の水の飲み比べ etc.
確かにいい経験になった。ただ、しばらくすると忘れてしまうので、1年に1回くらいやった方がいいと思う。
その知人に、私のおにぎりのあけ方は25点と言われた。でも、4つあければ100点。なんちゃって。
_ 才覚
規模の大小がどうであれ、自分でデイケアセンターや福祉施設を立ち上げて運営を続けている人って凄いと思う。会社の起業・運営も同じ。
私にはそうした才覚はない、あるいは、かなり乏しい。
得意・不得意は人それぞれだから、単純にうらやましいと思うわけではないが、そういう才覚のある人ってどこが違うんだろうと思う。
全く切り口は違うが、知的障害の人で、施設をぶらっと出て何ヶ月も戻らず、忘れたころに帰ってくる人がいると聞いた。所持金もちょっとした外出時に持つ程度。
これも一つの才覚。どうやって知らない人の間で何ヶ月も暮らせるのか。私にはとてもできない芸当。
見知らぬ人とそれなりにコンタクトをとりながら、食べるものと寝るところを確保する。少なくとも健康を損なわない程度に暮らしを維持する。なかなか凄い能力。
才覚って、いったい何だろうと、ふと思う。
2011年03月18日 3月11日の大震災
_ 大震災から1週間
あの日は、全国から参集した人たちの会議に参加。地震後、会議は中断となり、参加者は解散。
勤務先とは別のビルにいたが、情報遮断をまざまざと実感。
比較的新しいビルだったが、館内放送は、廊下に出ないと会議室内ではよく聴こえない状況。
しかも、アナウンスではビルの損壊がないことやエレベータ停止のことを言うだけで、震源地や地震の規模等の情報はない。
全国から集まっている人たちの心配やいらだちが徐々に高まっていくのを実感(あからさまに表面化するまでには至らなかったが)。
「こんなとき、ポケットラジオを持っていれば」と思ったが、持っていてもビル内でうまく受信できるかは疑問。高層ビルでは電波が入りにくかったような記憶がある。
やはり館内放送のあり方を見直すべきでは、と感じた。
職場に戻ると、ずっとテレビをつけていて、リアルタイムで情報を得られた。
交通網は全面まひ状態。
私が帰宅したのは夜中 00:30 ころだったが、帰ることができたのは幸い。
全国各地からきていた人たちは、見通しのない混乱に巻き込まれて大変だったろうと思う。もちろん直接被災された人たちが最も大変だったわけだが。
それにしても、1週間経っても停電や原発事故で混乱が続いていて、今回の震災の大きさに今更ながら驚嘆。
加えて、11日も結構 寒かったが、昨日・今日も真冬なみの気温。追い打ちのダメージ。
なんとか今後の見通しがつくところまで たどり着ければいいのだが。
2011年03月19日 買い物、品不足
_ 納豆を求めて
息子は大の納豆好き。1日に2回は食べる。私も好きな方で1回は食べる。
午後、晴天で暖かでもあったので、2人で納豆を求めて買い物に出た。
歩いて30分圏内くらいをうろうろ。6店舗を回ったが、結局、納豆を買うことはできなかった。
一頃パンなんかも品切れといわれていたが、今日はパンを置いてあるところは結構あった模様。それなりに戻ってきているのでは?と感じた。
でも、余震が続くと不安心理から、また買い物が増えて品切れになるのかも。
それにしても、納豆がこれほど見あたらないというのは、どういうことなんだろう?よく分からない。
そういえば、今週は昼食も、確保できないということはなかったものの、あれこれ選べる状態ではなく、店に残っているものを買って食べたというところ。
あっという間にこういう状況になるんだな、と少々驚愕。
一人一人が合理的判断をするはずだとの前提で組み立てられた経済学に対して、必ずしも合理的とは限らないとの前提で行動経済学が研究されていると聞くが、行動経済学は、こういう状況も視野に入れて何か述べることができるんだろうか?
大震災に遭遇した日本の円が高くなるというのも、よく分からない話。いったい、どうなってるんだ?
2011年03月24日 被災に立ち向かう集団の姿(小説)
_ パラドックス13
東野圭吾著の「パラドックス13」という小説がある。読んだのは昨年だったろうか。
確か、地球にブラックホールが近づいて、13時13分、時空の破れが生じて、別時空に迷う紺でしまう人が何人か出るというSFチックな話から始まる。
しかし、主題は、SFとは関係ない。被災に立ち向かう小集団の姿をリアルに描いたもの。
舞台は東京。別時空といっても元の世界と変わらず、ただ大半の人々が消えてしまった状態。生きもの以外はそのまま残っている。
そんな中、ごく少数の人だけがその別世界にいる。その人たちが徐々に出会って集団を形成。
食べ物に執着する人、激変の中でも前の世界での上司と部下の関係に拘る上司、前の世界の規則に基づく正義感を振り回す人、それぞれ個性ある人たちが登場する。
そんな中で、警察官だった人がリーダー役として集団をまとめる。食料減、病気、死者の弔い、天候不順、地震、都心をも襲う津波など様々な難局に直面しながら、集団として生き抜くことをめざす。
途中、やくざと思われる人と遭遇し、その人を集団に受け入れるか否かで議論する場面もある。賛否両論あったが、結局、受け入れる。
孤立無援の集団が将来にわたって継続することを考えた場合、個々人の制欲の問題の他に、セックスをどう考えて実戦していくか、そんな問題も避けて通れない。
ともかく、天災に翻弄されながらも生き抜こうとする小集団の姿が、リアルに・丁寧に描かれていて、読みごたえのある小説だった。
このところの大震災の影響下で、ちょっと思い出した1冊。