2011年02月01日 気になったこと
_ エジプト
チュニジアに続いてエジプトでも、市民の反政府行動が勢いづいているとのこと。
その原因として、若い人をはじめとして高失業率が続いていると聞く。
もちろん経済的な原因だけではないのだと思うが、若年層の就職難は、日本もそうだし、勢いよく経済成長している中国でもみられると聞いた。
いったい問題の背景には何があるのか、その辺を解説してくれる新聞記事(私の場合はwebで読めるものに限るが)は見掛けなかった。
そんな中、今日のNHKラジオ第1「ビジネス展望」(06:43から10分程度)で、経済評論家の内橋克人(うちはしかつと)氏が解説してくれていた。
チュニジアもエジプトも、20年以上にわたる独裁的体制が続き、官僚や軍人等のエリートが新富裕層となる一方で、貧困層が拡大し、最近では食料価格高騰、高失業率の継続等で不満(というより切迫した状況)が高まり、抗議行動になっているということらしい。
背景には行き過ぎた新自由市場主義がある、というのが内橋さんの捉え方だと思う。共感。
なにごとも行き過ぎはよくない。お金にしても権力にしても情報にしても、著しい偏在は害。
市民がそこそこの生活をおくれるようにするための、バランスをとる製作誘導ができないものか。
均衡状態で静止ということではなく、一定のゆれ動きはあった方がいいと思う。でも、激しい動きと過度な偏りは勘弁してほしい。
そういえば、チュニジアって古代ローマと争ったカルタゴの地ではなかったっけ。ハンニバルって、どんな人だったんだろう。
_ 路上ライブ
仕事の帰り、21:30ころ、自宅の最寄り駅近くで路上ライブをやっていた。
アコースティックギターとパーカッション。曲もいいし、演奏もうまい。
しばらく聴いていたい気がしたが、空腹なのと、帰路途中の横断歩道の音響信号機が 22:00 以降は音が出なくなるので(すると5分くらい遠回りすることになるので)、ライブのところは通りすぎた。残念。
たまに「いいなあ」と思う演奏ライブに出くわす。ちょっとした楽しみ。
2011年02月03日 修正きかない
_ 朝食時の会話
「おかあさん、前の方の髪の毛の一部がすごいことになってる。」と息子。
「これ?修正きかないのよね。」と母親。
この「修正きかない」がなぜか私のつぼに はまってしまい、妙におかしく
「そうか、修正きかないんだ?!」と私。
「なんでそんなに嬉しそうに言うんだ?」と息子。
「あなたの人生は、もっと修正きかないわよ。」と母親(私に対しての発言)。
そりゃそうだ、と思いながら心の中で頷く。これがまた おかしい。
現状をかえようと働きかけを試みる気持ちと、かえるのが難しそうだから現状を受け入れるしかないかという諦めの気持ち、その狭間で、あいまいに揺れ動く様子がちらちらして、それがおかしいんだろうか?
あるいは、選択の岐路を過ぎてしまって、ちょっと引き返すのは難しくなってきたという後悔?
ともあれ、しばらくの間「修正きかない」は、私の愛用語になるかも。
2011年02月05日 エレベータ
_ エレベータ利用をめぐるシステム
些細な話題だが、ちょっと おもしろいと思っている事柄。
勤務先に着くとエレベータに乗って地下1階から15階まで上る。11階〜19階にいくためのエレベータが6機ある。2×3の形で列んでいる。
通路を通ってエレベータのところにいくと、左側に手前から奥に向かって3機あり、また、右側にも同じように手前から奥に向かって3機ある。合計6機。
このとき、人々がどう列ぶかというと、奥の方には進まず手前のところに留まる。なぜなら、手前にいる方がエレベータ全体を見通すことができ、先にきた機に乗る選択権を確保できるからだ。合理的な判断。
さて、6機の中に音声案内機能の付いたものが1機だけある。それは右側の最も奥のもの。私がめざすのは、その奥にある機。選択権は6分の1。
しかし、人々が渋滞状態で列んでいるため奥に進むのは容易ではない。「すみません」と声をかけて無理矢理 隙間をあけてもらえば通れなくはないが、そこまでするかどうか。
「選択権をなるべく多くしておきたい」という自然な欲求、それと、障害者がハンディを軽減しようとすることとが不幸にしてバッティングしてしまう例。
ある種、社会にみられるいろんな障害者問題の縮図になっているような気がして興味深い。
例えば、視覚障害者の伝統的職業とされる鍼灸マッサージをめぐる職業選択の自由の問題。
障害者か健常者かを問わず職業選択を制限すべきでないとする考え方、障害者の実質的ハンディに着目して健常者の選択権をある程度制限するのはやむなしとする考え方、障害者の選択の幅を拡げることに重きを置く考え方、他にもいろいろある。
エレベータの問題に戻ると、時間がかかっても渋滞列に列んで音声機能が付いたものに到達すればいいだけだとする考え方、列をぬける優先権をもらって奥にいくようにするという考え方、費用がかかっても6機総てに音声機能を装備して障害者のハンディをなくせばいいという考え方、細かくみれば他にもいろいろ対応策は考えられる。
話は逸れるが、音声機能付きのエレベータを1機装備して「障害者対応」とするのは、プロの発想ではないと感じる。
どんな分野であれ、バックアップが大切であるのは自明。「少なくとも2機は必要だろう」と推測するのがプロでは?でも、そんなふうに考えるのは一方的で酷な見方だろうか。
それはともかく、このエレベータ問題、些細で単純ではあるが、なかなかおもしろい。
人の流れ方を考慮に入れた設計がどうあるべきかという視点でもおもしろそう。
2011年02月06日 テレビ、ブレーキ
_ テレビ番組
ふじテレビ「報道2001」を聴いていたら、社会保障をテーマに放送するとのこと。
で、最初に「大変な数字があります。」と司会役の人がいうので社会保障に関するデータかと思ったら、政党支持率の数値だった。なんだかなあ。
出演している政治家の人の話も、「民主党は具体案を示していない。」 「マニフェストを変更するなら解散総選挙で民意を問い直すべき。」 「マニフェストの基本路線を変えるわけではないが修正に応じる柔軟姿勢で臨む。」
そんなやりとりが一頻り続いてから、ようやく少し本題に入る。もっとダイレクトにテーマの議論に入れないものかという気がするが、政党という組織を背中に背負っていると、どうしてもそういう発言になってしまうんだろうな。
政治家だけでなく、どんな人も組織の1員を意識すると、そういう傾向になるのだと思う。それと、渦中にいると、全体像が見えなくなってしまうのもありがち。
テレビに出ている人たちは、番組スタッフも含めて優秀な人たちなんだろうけど、ちょっと大丈夫?という不安あるいは違和感を感じる。前に向かって少しでも進もうとしている印象を受けない。私の感じ方が曲がっているだけで、実際はそんなことないんだろうか。
番組の中でVTRにより介護現場が紹介されていたが、こういう内容の方がずっと興味深い。
思い出の旅をすることで認知症が軽減された人の話も心に届く。
「でも、いろいろ工夫して症状が軽くなると、結果として介護報酬が減ってしまう。」との指摘があった。なるほどと思う。
こういう意見を組み取る良い方法、制度設計の具体案ってあるだろうか。
「かかった費用分を負担するのが公費負担の原則」というのも当然だし、それとの整合性をどう取るか……
_ ブレーキ指向
横断歩道を渡ろうとするとき、信号が赤だと「危ないですよ」と教えてもらうことが結構ある。ありがたい。
ただ、信号が青に替わって渡れるようになった時に「青になりましたよ」と教えてくれる人は、かなり減る。
ちゃんと数えたわけではないが、「危ない」と教えてくれた人のうち3割くらいでは?という気がする。
私は、信号を待つためにそこに立ったわけではない。渡るためである。
危険を知らせてもらえるのは、何にも優先して助かるのは確か。しかし……
揶揄するような言い方になって恐縮だが、これに似たことって結構いろんな場面であるように思う。
こういのが優勢な雰囲気の中では、良くいうなら安全第一主義といえるんだろうが、ブレーキ指向になってしまうマイナス面もあるのでは?
別に障害者問題と結びつけて言っているわけではない。大人が子どもに対する時も、そんなところがあるような気がする。もちろん私も含めて。
ブレーキは大事だが、アクセルのことをもっと考えないと、と思う。
2011年02月07日 リスクヘッジ
_ プロのプログラミング
昔、C言語の解説を読んでいたら、「こんな書き方をするのがプロのプログラマーだ」として次の例が上げられていた。
よくある書き方は、
if (fp == NULL)
であるのに対し、
if (NULL == fp)
とするのがプロということだった。
イコール記号を2つ続けるのを忘れて1つしか書かなかった場合、前者だとコンパイラエラーにならないのに対し、後者だとエラーが出て実行ファイルが生成されない。
つまり、人の入力ミスが確実に発見される書き方ということになる。
(なお、私がCをちょこっとやってた昔でも、前者について、エラーではないがワーニングは出ていた。)
自然で美しい書き方も大事だが、実践では、場合によってそれを犠牲にしてでも安全策を採るべし。そんな意味だったと思う。
人には誤りがつきもの、その前提でリスクをなるべく表面化するようにして、安全に動くものを作る。それがプロの技。そんな意味でもあったと思う。
妙に納得して、今でも覚えている。
しかし、その教えに従った書き方をしたかというと、やはり前者的な記述をやってた(あせ)。私はプロではないし、後者の記述にはやはり抵抗感が。
考え方としては大事なことなんだろうけど。
ぜんぜん違う事柄だが、上の話から株式などの「鞘取り(さやとり)」を連想してしまう。こじつければ、リスクヘッジという共通点がある。でも、やっぱかなり違う感じ。
そういえば、NHKテレビの「連想ゲーム」って好きだったけど、唐突にやめになった印象。報道重視の方針の下でやめになったような気がするが……
取り留めなくなりそうなので、おしまい。
2011年02月08日 八百長
_ 分類、排除
今朝、ラジオ ニッポン放送を聴いていたら、アナウンサー(かきはなただし氏)が両国の自転車屋さんのおばあさんに聞いた話を紹介していた。
八百長でゆれる相撲界、自転車屋さんに顔を出していた若い力士も八百長をやったとされる1人で、子どもが生まれて間もない、礼儀正しい人とのこと。
「もう相撲界には残れないだろうけど、この先どうするのか。」と おばあさんが心配げに話していたとのことだった。
身近にいる人の感想。なんだか切なくなる話だ。
相撲界という集団の中で、その力士がどういう立ち位置に置かれたのか、あるいは選択したのか、いろんな要素が絡み合っての、結果としての八百長だろうと思う。
報道で「まじめに一生懸命やっている力士も疑いの目でみられてしまい気の毒だ。」といったコメントを聞く。
それはそうなのだが、否定はできないのだが、しかし、「まじめグループ」と「八百長グループ」を明確に分類できるものなのだろうか、そんなに はっきり分けられないのでは?という感想が残る。
もちろん、先のコメントも明確に二分できるとの前提で語っているわけではないだろうと思う。
限られた報道番組の時間で、「ああでもない、こうでもない」と煮えきらないことをいっていたのでは格好がつかない。
「相撲界全体としてどう責任を果たすのか」
「アンケート調査では実態が把握できない。もっと強制力ある調査を」
「過去には封印して現在表面化していることだけで終わらせようとしている。それでいいのか」……
そうした批判は、もっともだと思うのだが、なら、どんな解決策が妥当なのか、私には考えを進めるためのこれといった基盤がない。
ただ、思い出した図書がある。
「あたりまえ」を疑う社会学 〜 質的調査のセンス(好井 裕明著、2006年2月)
マイノリティを社会の「異質」として排除したり、「自分とは関係ないもの」として客観的に捉えたりするのでなく、そこに入り込んで、そこにいる人たちの目線で見たらどうなるかを知ろうとする。社会調査の手法として、そうした姿勢が大事なのではないか。そんな趣旨が根底に流れている本だったと思う。
そうした調査を通して、自分がどっぷりつかっている「あたりまえ」を見直し、自らの居場所を再確認する。「異質」と思っていたものと自分の居場所との連続したつながりも考える。そんな意味合いもあったと思う。
2、3年前に読んだが、強く印象に残っている本の1冊。
しかし、八百長問題やら何やらの現実の社会減少を見る時に、その本をどう手がかりにしたらいいのか、私には分かっていない。ふがいないと思うが、それが正直なところ。
精進が足りない、煮えきらないのが私だ。
2011年02月10日 このところ読んでいる本
_ 通勤時の読書
通勤時の車中、20分くらいの短い時間だが、打ってつけの読書タイム。
ここ1週間以上、「宇宙を織りなすもの・下巻」(ブライアン・グリーン著)を読んでいる。わくわくする。
上巻は何ヶ月か前に読んだが、下巻の点字図書が完成したのは最近。大げさでなく待ちこがれていた。
先に読み進むのがもったいなくて、分かりにくい箇所は何度か読みかえす。
インフレーション理論の例え話、巨大な箱の中に活発に動き回る子どもたちが大勢いる場面についての説明は、未だに納得できていない。
「内向きの力」と「外向きの力」の訳語を間違っているということはないんだろうか?たぶん私の解釈が浅いんだとは思うが。
今日はブレーン・ワールドの説明のところだった。なかなか理解するのは難しいが、ともかくおもしろい。
2011年02月11日 関東でも雪
_ 中途視覚障害者の相談
朝から雨・みぞれ・雪が入り交じった天気。
中途で失明あるいは急激な視力定価になった人の相談会があり、出かける。
それぞれ専門的な知識やノウハウを持つ人が数名 相談に対応。私は枯れ木も山のなんとやらだが参加。
最も望ましいのは、障害を負ってからも同じ仕事を続けられること。そうすれば経済的にも安定する。
しかし、多くの場合、「これまでの仕事を続けるのは難しいだろう。新たな道を選択しては。」と職場サイドから言われる。そうなると、これまでの収入源、人間関係と切り離されることになる。
眼の悪化だけでも大きなストレスだが、更に、職場側とどう交渉するか、経済的安定をどう確保するか、家族とどう向き合うか等々いろんな問題がどっと押し寄せる。しかも、それらは密接に絡んでいて、一つづつ別個の問題として扱えるわけではない。
仮に離職するとしても、自己都合か会社都合かの差は大きい。退職金とか失業給付の受けられる額や期間が違ってくる。また場合によっては労災認定に伴う補償とか、障害年金なんかも重要。
とても「精神的に落ち込む」なんてレベルの話ではない。引きこもりみたいになってしまう人もいる。
でも、「相談してみよう」と考えて出てくる人は、それなりに自分の状況を整理して捉え、これからの見通しを立てている人が多い。家族や知人につれられて、嫌々出てくる人もいないわけではないが。
相談にくる人をみて、「しっかりしてるなあ。凄いなあ。」と感じることが結構ある。
ともあれ、受障というダメージが二重・三重に拡がってしまうことを避けられるような体制、制度づくりができないものかと思う。
例えば basic income が精度化されれば、今よりも落ちついて選択肢を摸索する余裕が出てくるのではないか、と思う。
一つのダメージが波及的に拡がるという話は、障害者問題だけでなく貧困の問題などでも聞く。
「新たな制度を」というだけでなく、既存の制度についても「どのように利用したらいいのか」をちゃんと知ることができれば違ってくる、ということがある。いろんな形で網の目をはることが大事だなと感じる。
_ 沈まぬ太陽
もう何年も前、小説で「沈まぬ太陽」を読んだ。とてもおもしろかった。
今日、テレビでその映画を放送するというので しばらく聴いた。
ただ、音だけ聴いたのではなかなか分かりにくい。やはり音声ガイダンス(場面の解説)があると助かる。
4時間近くのドラマだったが、途中でやめてしまった。
ぜんぜん関係ないが、ロックの「太陽と旋律」(キングクリムゾン)のアルバムが好きである。いずれそれについて書いてみたい。
2011年02月13日 昨日は
_ 世相は暗い?
昨夜、NHKテレビの総合をみていたら、無縁社会についての討論番組、それがおわって少ししてから、闇金融を取材した番組があった。
無縁社会の話では、就職、介護、それから、自己責任の範囲と社会の責任の範囲をどう考えるかといった議論等々、多方面の議論があった。
それぞれ異なる立場から、それぞれ頷ける意見が出たが、「ゆとり教育世代の若者は自立心が足りない。教育が大事」との年輩の人の意見には賛成できない。案の定、比較的若い人から「そんなのはナンセンス」との反論があった。私も同感。
番組とは関係ないが、「ゆとり教育世代は、なってない。」と、僅かにその世代より年上であるだけの若い人が、まじめに語るのを聞いたことがある。
「ゆとり世代は駄目」みたいなステレオタイプな発言は、どの年齢層の人が言っているにしても、あまり好感を持てない。
闇金の番組では、資金繰りに困った中小企業の人が闇金に頼ってしまう構造、破綻していく様子や手先のように使われるようになってしまう成り行きが紹介されていた。やりきれない話。
闇金をやっている人は、「どこからも借ることができない人に融資するのだ。人助けだ。」との言い分。
中小企業が互いにネットワークを組んで助け合う例、信用力のあるところが銀行から借りて、せっぱ詰まっている会社に又貸しするケースも紹介されていた。自分がせっぱ詰まった時は助けてもらう側になる。
その場合、借金の額に応じて一定の謝礼を支払うが、それが利息法に抵触する可能性があるとのこと。それでも背に腹はかえられない、というのが実際のところのよう。
公的な融資制度を使おうとしても、手続きがとても面倒で、かつ、短くてもお金を借りるまで3週間かかってしまい、実際には助けにならなかった例が紹介されていた。なんともやりきれない。
公の制度がありながら、ちゃんと支えになってないというのは、どう考えたらいいんだろう。
_ かじかむ
そういえば、昨日は朝から天気がわるく寒かった。
午前、クリーニング屋さんにいったついでに少し散歩したが、小雨まじりで、久しぶりに手がかじかんだ。
少し暖まらなくてはと思い、駅までいって傘をとじようとしたが、指の感覚がなくて少し戸惑う。そんなことは最近あまり経験してなかったような気がする。
休日の午前中だし、天気もわるいから人はあまりいないだろうと予想していたが、駅構内はかなり混雑していた。
今日は朝から良い天気。ベランダにふとんを干す。
3時のおやつには、イチゴチョコを食べた。良い三連休だった。
2011年02月15日 東京も雪
_ 雪道
昨夜から雪がふり始め、出勤する時は少し積もっていた。
家を出るとき、我が家の奥さんをはじめ近所の人たちが雪かきをしていた。
駅までいく途中でも、雪かきをしている人たちがいて、「こっちの方が歩きやすいですよ。」と教えてもらう。ありがたい。
東北生まれで雪道には慣れていたはずだが、かなり適応力低下。
普段は白杖で足下を確認しながら歩くが、路面をスライドさせる。とんとんと突くのでなく、なぞる。その方が杖で把握できる情報量が多い。
しかし、雪があるとスライドさせるのが難しい。
また、足裏(靴底)で路面情報を把握しながら歩いてもいるが、それも普段の様子とは違ってしまう。
要するに、雪道を一人で歩くのはなかなか骨が折れる。
雪国の視覚障害者は、大変だろうなと改めて思う。
2011年02月16日 甘党
_ チョコと豆腐
この前、ビターチョコを溶かして豆腐と交ぜ、冷やして固めたチョコを食べた。
ココア(粉末)を振りかけてあった。家人の手作り。
かなりおいしかった。食べても材料が豆腐だとは分からなかった。あんなにマッチするとは……
甘党なので是非また食べたいが、当分は無理だろうな。
そういえば、世田谷区の用賀というところに住んでいたとき、近くにヴォアラというケーキ屋さんがあった。近所なので時々ケーキを買ってきて食べていた。
そのころは特においしいとも自覚しないで「こんなもんか」と思って食べていたが、引越してから「あのケーキ、また食べたい。おいしかったなあ。」と思い出す。
今の近所にもケーキ屋さんはいろいろあるが、なかなか「あのおいしさ」には巡り会わない。
私の家族は、各人 味の好みがかなり違うが、「あのケーキ おいしかった」という点では一致する。なので、必ずしも私の特殊な好みというわけではなさそう。
ヴォアラは、大通りから少し入って店の入り口があったが、その間が短い砂利道になっていて、ちょっと日常風景から離れるような雰囲気。
見た目は分からないが、ややメルヘンチックな家造り?という雰囲気が店に入ると感じられた。
味だけでなくケーキを楽しむことへの「こだわり」のようなものが感じられた。
久しぶりにいってみようか。
2011年02月19日 早朝のラジオ
_ ラジオ番組「ニッポン政策研究所」
朝、目が覚めたら6時だった。少々がっかり。
5:05からTBSラジオ「ニッポン政策研究所」を聴こうと思っていたのだが、のがした。
2月5日、12日と2回、片岡剛士(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員)の「いまやるべき経済政策」をやった。
司会役は、麻木久仁子氏。
通常は、1人のゲストに2回登場してもらう形だが、今回は同じゲストの3回目。
前の2回、とてもおもしろかった。社会保障と税の一体改革(増税指向)を批判。
景気の悪い時に消費税をアップすると、一時的には税収が上がるにしても、更に景気が悪化し、結果的に税収が減る、という説明は説得力がある。
デフレ対策に金融政策が有効か否かは、専門家の間でも議論が分かれるようだが、増税が成功につながらない、というより更なる悪化を招く、というのは妥当な見方に思える。
いや、こんなことを書きたかったのではなかった。聴きのがしたのがなんとも残念、というのが本旨。
webで聴くことはできるが、月曜にならないと聴けない。
こういう番組、もっと聴きやすい時間帯に流してもらえないものか。ほんと良い番組だと思う。
2011年02月22日 今はなき私の昔のweb
_ ホームページ全消去
もう何年も前だが、妻君がホームページを開きたいというので、私が契約していたインターネットプロバイダの一部を貸したことがある。
ホームページの作成とサーバへの転送をGUI方式で簡単に行えるソフトを使っていた。名前は忘れた。
そして、ある日、私のホームページにアクセスしてみると、データが何もなくなっていた。妻君のも私のも何もない。
原因は、どうやら妻君の操作ミスらしい。でも、そんなことってあるんだろうか?
それ以降、2人ともホームページを作るのをやめた。
私がホームページ作りを再開したのは、たぶん3年くらい経過してから。妻君は未だ再開していない。
_ 日齢、ゲーム
ホームページ全消去の前の話。
年齢ならぬ日齢を計算するcgiをアップしていた。生まれてから何日経過したかを計算するもの。
その当時は、確か perl で作っていたと思う。
同じ計算を行うサイトが他にもいろいろあったが(今もあると思う)、
ユーザーが入力した日付(誕生日)を起点に、100日ごととか500日ごとに該当の年月日を表示して、「さて、1万日目の年月日は?」みたいなクイズを提示する。
で、ユーザーが入力した年月日が正解か否かを判定して表示。正解との日数差も示す。
そんなのを設けていた。もちろん、予め表示される表の中に1万日目は盛り込まれていない。
1万日がかなり遠い若年の人には、5千日とか3千日をクイズにしていたかもしれない。
そうしたサイトは、そのころはなかったと思う。
簡単に作れるわりに、ちょっとゲーム感覚を味わえるのでは?と思って自己満足していた。
でも、総てなくなった。
「同じものをrubyで」と思わないでもないが、今更の感もある。
ほんとは、画面デザインはシンプルながら、視覚障害者がオンラインで楽しめるゲームをwebに設けてみたい。
特に二人トランプゲームの「ジンラミー」(ラミーは麻雀の意味)をなんとかできないかと思うが、ちゃんと勝利をめざすゲーム思考アルゴリズムを組むのは大変そう。
パソコンでも携帯電話でも楽しめるものを作れれば一番だが。
2011年02月23日 人気のパン
_ たっぷり感
家族が、通りかかった品川駅で、最近人気のパンを買ってきてくれた。
駅構内で、広島のパン屋さんが売っているものらしい。まだ常設店にはなってないが、行列ができるほど人気だとか。
大きめのシュークリームか?と思うほど小さなパンだが、中にクリームがいっぱい入っていて、下手な持ち方をするとこぼれそうだった。
外側が柔らかく、ちょっとシュウマイみたいな感じ。中のクリームも、あまり食べたことのない独特の味だが、おいしかった。
味もいいが、注目したのは「たっぷり感」。満足感がある。全体を小さめにしながら、クリームをこぼれそうなほど入れたのは、戦略的に当たりかも。
たい焼きにも天然と養殖があると聞いた。あんこが尻尾のほうまでしっかり入っているのが天然、それほどではないのが養殖とのこと。
どちらを選ぶかは好みだが、私は「たっぷり感」のある方がいい。
たまにコンビニでランチパックのメンチかつを買うことがある。四角のパンの中にメンチかつが入っているもの。
その入れ方が中心にちゃんとおさまっていると、満足できる。
逆に、中心からずれていると、当然ながらパンだけのところが広くなる部分ができてしまう。触った感じだと、全体の3分の1くらいが「パンだけ」みたいな印象を受けることがある。
入っているメンチかつの量は同じなのだと思うが、印象として、中心からずれればずれるほど「たっぷり感」が減る。
ある種の錯覚とは思いつつ、もっと安定して中心におさまるようにならないものか?と思ったりする。
せこい話で恐縮。
2011年02月24日 駅で立ち話
_ 「○○くん」と呼ばれることって
夜の8時ころ、自宅の最寄り駅で、高校時代の友人のお姉さんに声をかけられた。
友人のお母さんがとても気さくな方で、何度もおじゃました。泊まらせてもらったことも1度や2度ではない。
そのお姉さんなので、私を「○○くん」と呼ぶ。
最近、君づけで呼ばれることはめったにない。なので少々どぎまぎする。
でも、君づけで呼んでくれる人がいるというのは、幸いなるかな。
2011年02月27日 暖かい日の散歩途中
_ 一期一会
最近、rubyによるExcel操縦について、ちょこちょこメモを書いている。
未来の自分(=他人)が読んで分かるように書こうと思うのだが、いざやり始めると結構手間がかかる。午前はそれでつぶしてしまった。ちょっと虚しい感じ。
今日は暖かく天気もいいので、午後から散歩。常用の最寄り駅と違う駅まで歩く。
途中、「どこまでいくんですか。」と声をかけてもらったので駅までガイドしてもらった。
明日が誕生日で、61歳になるという女性。
旦那さんと二人のお子さん、それと姑さんと一緒にマンションに住んでいて、上のお子さんを出産して以来の花粉症とのこと。
短い時間に、あんなに話をしたのは珍しい。
でも、町中を歩いていると時々声をかけてもらう。
中には強く記憶に焼き付いている人もいる。
千葉まで通勤していたころ、朝、「これから東京ディズニーランドにいくんです。」といって、京葉線・舞浜駅で下車したおじさんのことは忘れられない。
雨の平日の朝、おじさんが一人でディズニーランドに向かうという図は、下世話な言い方をすれば想像力を刺激される。
知人に私なりの想像ストーリーを話したことがあるが、「よくそんなに物語をつくれるもんだ。」とあきれられた。
そんなこと書いてると、「うっかり視覚障害者に声をかけられないな。」と思われてしまうだろうか。まあ、めったにないことなので念のため。
_ Hjvpwpmr [In Honolulu, Hawaii cop had his own place in about one mil..]